ある友人が言ってた言葉から、アイデンティティについて考えるところがあった。
その人は帰国子女ってやつだったが、ある時に思い悩んだという。
周りから、「さすが帰国子女だね」とか、「へー君って帰国子女なんだー」とか
奇異の目で見られることに、自分が同じ日本人ではないように思えて悲しかったという。
自分のアイデンティティーは何なんだろう?って悩んだと。
僕も経験がある。
僕の体験は、もうちょっとだけ壮絶かな。
中学2年、14歳の時に急性白血病にかかって半年ぐらい入院し生死の境にいて、頭髪がほとんど抜け落ちた。
苦しい闘病生活だったけど、それ以上に退院してからの方がつらかったかなぁ。
僕は似合いもしない帽子をかぶって学校に行ったんだけど、
昔は普通の子だったのに、退院してからは可哀想な人扱いだった。
身体障害を負っている人の気持ちはこんな感じだろう。
まぁ根っから楽天的な性格なので、思いつめることもなかったんだけど、
入院前に好きだった娘が、入院前は割と脈アリな感じだったのに
退院後、どこかモンスターを見るような感じだったのがショックだったなぁ。
まぁ、そんなの全然思い過ごしだろうけど、僕はそう受け止めてしまった。
ということで、それから高校2年ぐらいまで入退院を繰り返し、
髪の毛もその度に抜け落ちた。
そんなこんなで、高校生のときはちょっとコンプレックスが大きくて彼女も出来なかったし
楽天的な性格なんだけど、結構ネガティブになりやすかった。当時。
ところが、今では僕の中でその貴重な経験はコヤシになってる。
(表立ってそんなに白血病を公表してるわけでもないけど)
人とは違う経験を、自分の根幹に置くことができた。
それこそがアイデンティティーと呼べるものではなかろうか。
日本人である、関西人である、という属性をアイデンティティーと呼ぶことがあるが、
それは単純に出自を表しているだけであり、同族意識を求めていることでしかない。
アイデンティティーはその人をより一意に表す属性であるべきだ。
モンスター経験者であるということは強固な一意性をもっていた。
それが自分の中で消化できて価値を見いだせたのは社会人になってからだけど。
今は僕にとって、どんなことがあっても大体なんとか乗り越えられる原動力になってる。
人と違うってことを愛せるようになって、それを利用出来るようになると、まぁまぁ強い。