僕は読書が好きです。
良い本にであうと、心が揺さぶられますよね。
その心が揺さぶられる感覚が好きだから、読書が好きです。
揺さぶられて、その後色々と想いが駆け巡る感覚になります。
たとえば自分の仕事に直結するような良い本にであうと、
その本で得た感動を仕事に上手く生かす方法を考えてワクワクします。
仕事のシーンでかっこよく引用できるように、キーワードを覚えようとしてみたり。
とても満足した気分になります。
人生に影響を与えてくれるような本にであうと、
明日からの考え方を変えてみようかとか、誰かにオススメして共有しようか
とか、そういう嬉しい気持ちになります。
夢中になって一気読みしてしまうようなストーリ物にであうと
良い映画を観たときの感覚と似た、満足感と充実感があります。
そういう読書×満足感こそが僕にとっての読書の目的です。
たくさんの本を読んで、たくさん満足感を得たいので、
速読をトレーニングしていたことがあるのですが、
反対にすばやく1冊読めても、読書による満足感が希薄になるように思いました。
反芻したり、余韻を味わう感覚をたっぷり味わう時間があったほうが、
読書が豊かになるように思ったのです。
だから、速読はあきらめました。
(でも、もしかしたらちゃんと速読をマスターすれば違った感覚になるのかもしれません。)
僕は、速読はあきらめましたが、でも短い時間でたくさんの本を読みたいです。
たくさんの良い満足感を得たい思います。
そこで僕が出した方法論は、
「読まない『部分』を増やすこと。」です。
100ページの本があったとして、筆者が本当に言いたいことというのは1ページでもいえるんだと思います。
本当に言いたいことだけで修飾がなければ味気ないので、
49ページほどは、そういう付属品の文章を書きます。
あとの50ページ分で、裏づけや本当らしさの演出の文章を書きます。
これは僕が書籍を執筆の経験があるので、余計にそう思います。
無理くりにでも、ひねり出して本を書いてた僕は、
どうしても100ページ分MAXで有意義な本にはできませんでした。
良書になればなるほど、比率は変わってくるでしょうけれど、
どんな良書でも一字一句、本のすべてが大事というわけではありません。
だったら、読まないページを割り切って読まないことで、
良い読書体験を凝縮して得られるのではないかと考えました。
これはマネージャーやリーダーとして仕事をするときの感覚と似ています。
どれだけ早く仕事をこなすか?よりも、
どれだけ少ない仕事で同等の成果をだすか?と考えて、
作業の絶対量を減らして取り組むことが、マネージャーやリーダーの仕事だと思います。
それが読書でも応用できるんじゃないかと思います。
だから、本を読むときは、まず目次をみて
興味を引きそうなところにダイレクトにジャンプします。
ぱらぱらと各章の初めと終わりの数行を読みます。
なんらかの感動が得られるところはじっくり読みます。
すごく感動した本や文章なら、覚えるぐらいに何度も読みます。
どうでもいいなと思ったら、その周辺は読みません。
続きを読まずに本を閉じ、興味のある別の本に飛びつくというのも
罪悪感を感じなくてよいと思います。
どうせその本を読み始めたのも、自分の興味が基準なのです。
つまり、興味のない本など読まなくてもいいのです。(仕事で必要とかなら我慢しましょう)
興味のない本を読まなくても良いように、
興味のない章を読まなくてもよく、
興味のない節を読まなくてもよく、
興味のないセンテンスを読まなくても良いのです。
さすがに小説などでは、この方法をとるとつながりがわからなくなりますが。
ビジネス書や技術書は、こういった読み方でも十分です。