無宗教なIT企業経営者からみる宗教のすごさ
100歳になるばあさんが死んで49日。
僕は基本的に無神論者だけども
宗教というものが、人類のとんでもない発明だなと気づいた。
死ぬことへの恐怖と大事な人を失った悲しみをこうやって人類は軽減してきたのだなと。
これほどの価値を与えるとは単純に凄い。
そして家族のつながりを再確認してあたらしい未来へ希望を持って進むことを仕組みにしている。
これは、僕ら経営者として進むべき多くの示唆を与えてくれてる。
浄土真宗の教義に習って葬式やお通夜、49日の法事が済んでバタバタした日々に区切りがついた。
親族総出の大集合で故人を偲びながらの日々。
幼少期からのばあさんとの思い出を、それこそ走馬灯Likeに思い出した。
自分が死んだときそんな風に思ってもらえる人がたくさん居たら良いなと
人生観を新たにさせてくれた。
僕やうちの親父のように、無宗教、即物的、俗物的、論理的な人でも、
親鸞さんの教えに救われた所がある。
ばあさんのあの世での幸せを願い、
「南無阿弥陀仏」(阿弥陀さんあとのことはよろしくおねがいします)を唱える事に
なんの違和感もなかった。
そして、親族を久々に集結させること、血のつながりのありがたさを
感じさせるというこの文化とシキタリのありがたさを感じる。
離ればなれになってた親族も、この機会に集まって同じ悲しみを感じ、
同じ人を思う時間を過ごす事で、絆を新たにする。
これは組織を強くする行事であり、自分にも必ず降り掛かる死について
前向きにも後ろ向きにも考えたあげく、結局前向きに進めてくれる時間が
与えられるということに思う。
人類最大の発明として「宗教」を上げる人が居る。
いまなら、分かる気がする。