ある人は、「上場は、目的ではなく手段だ」という。その言葉に一面は納得する。
しかし上場を目指してみるとそうたやすくはなく、本当に血のにじむ努力と勤勉さを求められる。
「自然発生的に上場できました」とは行かない。
それ自体を1つの目的にしなかったら、どうして上場できようか?とも思う。
同じようなシュチュエーションで、
それは目的ではなく、手段だろう。
と指摘したりされたりする場面がある。
しかし、「手段でないもの」を目的にするというのは、
”抽象的になりすぎて役立たない”ように思うんだ。
例えば、
「僕は”情報処理試験”に合格することを目的に勉強する。」という人が居たとする。
しかし、情報処理試験に合格することは、目的ではなく手段だと指摘を受ける。
じゃあ、ということでその根本的な動機を探る旅にでることになる。
根本的な動機は以下だ。
「僕はエンジニアになるために、情報処理試験を受ける」
しかし、まてよ。
エンジニアになることは本当に目的だろうか?
それは手段ではなかろうか。
さらに根本的な動機を探る。
「僕は世界をあっと言わせるシステムを作るために、エンジニアになる」
システムをつくることが目的だろうか?
「僕は億万長者になるために、世界をあっと言わせるシステムを作る」
億万長者になる目的は、
「僕は、僕自身が幸せになるために億万長者になる」
さて、こうたどっていくと人間としての「根本的な欲求」のレベルの抽象的なものにたどり着く。
しかし、「僕の幸せ」なんて、抽象的過ぎる。
行動のための目的として適切といえるだろうか。
だから、「それは目的ではなく手段だ」という批判は、気にしなくて良いんじゃないかと思う。
どちらかといえば、
2手先を読め
ってのが大事で、目先の1手は「手段的な目的」でもいいんじゃないか。
僕は、上場は企業の資格試験だと思ってる。
僕らエンジニアが、情報処理の試験のために私財と膨大な時間を費やして
勉強して試験に受かったら給料が上がるんだ!とか、新しい仕事にありつけるんだ!とかと似た側面もある。
その過程で勉強することも多く意義がある。
もちろん、明確な2手先のために資金を集めることも1つだが、
それにしたって、さらに大元の目的にさかのぼってみれば、「企業の発展」とかになる。
根は一緒じゃないか。
ということなら、上場後の1手は考えた上で、目先に集中するのは理に適ってると思う。
それはさておき、逆説的に「抽象的な欲求から具体化していく」というプロセスは
目的設定のときの視野を幅広くするために有効な手段だと思う。
「情報処理の資格を取る」ということから、大元の目的を考えていたときは、
結局1つのルートしか見出せなかった。
しかし、
「僕は、僕自身が幸せになるために」に何をするか?を考えると、
幅広いルートが出来る。
幸せになる
億万長者になる。
→すばらしいシステムを作る
→エンジニアになる
→情報処理の資格を取る。
→社長になる
好きな人と結婚して良い家に住む。
→好きな人に積極的にアタックする
→気持ちを伝えるために何かをプレゼントする
→好きな人のために最大限時間を使う。
社会的な地位を得る。
→大きな仕事のチャンスを見逃さず手を上げる。
→リスクをとる。
「僕は、僕自身が幸せになるために億万長者になるために世界をあっと言わせるシステムをつくるために、
エンジニアになるために、情報処理試験をうける」
という1つのパスではなくなる。
ときどき、とても抽象的な目的からさかのぼるのも有効だろう。
これらは、実はシステムの「要件定義」でも言えることだ。
しかしその話はまたいつか。