ソフトウェアの価値は人間が直感的に認識できるものじゃないので、他の欲求をかき立てる仕組みと組み合わせないと価値は上がらないんじゃないかなと思います。
ソフトウェアが社会インフラとなったり生活に欠かせないものとなる中で、ソフトウェアの価値はこのところ下がり続けているばかりです。
iPhoneやAndroidなどのスマフォのアプリは無料もしくは85円のものに始まりせいぜい300円、1000円を超えるものは、高額アプリと呼ばれます。
レビューを見ると「215円もとっておいてこんなアプリかよ」みたいな厳しい言葉もチラホラ。
僕から見ると結構よくできたアプリなのになと思えてしょうがなく、少なくとも215円がそのソフトウェアの正当な価値とは僕はどうも思えませんでした。
「もっと価値あるよそれ」といいたいながら証明の手立てがありません。
ブクマコメントにいただいたんですが、一方で「官邸のHPの5千万円は安いという人もいる。」これほんとにそうですよね。
ソフトウェアの価値ってなんなんでしょうね?
SIでは、掛かった原価=価値のようにしていましたが、それって純粋なソフトウェアの価値じゃなくて、カスタマイズと構築の人件費だし、まぁムリクリですよね。
当たり前ながら、パッケージソフトやスマホアプリなどでは、そうはいかない。
一般的なソフトウェアは、ビデオや音楽なんかのコンテンツに近い。
そんな中で、ツイッターのまとめで大学教授 東浩紀さんの意見に考えるものがありました。
3MBの楽曲に300円払うつもりはないが、その楽曲が「いまこの瞬間に聞ける」のであれば、その体験に300円払うことは全然ありうる。ひとがなぜライブに金を払うのかを考えればいい。情報産業はそういう方向を目指すほかないのであって、データの流通そのものを規制しようとしても無意味だ。
東浩紀「情報そのものを売ってマネタイズするのが不可能。無限に複製可能なデータに、金なんか払うわけがない」 - Togetter
(中略)
みな根本的に勘違いしているのですよ。ネットの登場で流通コストがゼロになる可能性が見えた。そうなると情報の発信者と受信者が直接に結びつけば両方得をすると思い込んだ。でも実際は、情報をお金に結びつけていたのは、その無駄だと思われていた中抜き産業であり流通産業なのです。
ソフトウェアを含むコンテンツビジネスが中抜き産業で流通産業とは、一面の見方でしかないように思いますが、それでもそういう「今までしてこなかった別の見方」をしてみてビジネスモデルを再定義することが必要な時期にあるのだと思います。
東さんの前半の意見「ひとがなぜライブに金をはらうのか」の部分には大いに共感で、「体験」にお金を払うことは十分にあり得るのではないかと思います。
ソフトウェアの価値は、現時点では人には直感的に欲求として認識できないのかもしれません。
だから、体験とソフトウェア、または物理的に価値のあるものとソフトウェアなど、もっと直感的に購買意欲をかき立てるものと組み合わせるのが一つのマネタイズの方法かなと思います。
そういえば昔から、大手のメーカーさんはソフトウェアはハードウェアのオマケ的な扱いをしていましたね。
ソーシャルゲーム系の会社さんが、射幸心を狙ったのも良し悪しはともかくとして、今後のソフトウェア産業の一つの解だったんだろうとは思います。