レベルエンター山本大のブログ

面白いプログラミング教育を若い人たちに

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指揮官への道

この6月末で、僕らの戦場を離れて家族のもとへと帰った仲間がいる。
沢山苦労をかけたのに、ろくすっぽ別れの言葉も言えなかった。


彼は僕が思っていた以上の活躍をしてくれた。


彼の任務は、孤独との戦いから始まった。
「あの頃は精神的におかしくなっていた」と後日、笑いながら話してくれたが、
当時、本当に追い込まれていたようだった。


生まれたての子供を故郷に残して、この戦場のような現場にリーダ候補としてやってきた。
しかし僕らとは異なるチームで完全にアウェイの中、新参者に出来る事は少なく、彼に孤独で惨めな思いをさせてしまった。
「知らないうちに涙が溢れるんです」という話を聞いたとき、僕は彼を家族のもとにすぐに返すべきだと思った。
人一倍家族を大事にする男と知っていて、そんな奴を家族から引き離して仲間のいない戦地に追いやったのは僕だった。


しかし、彼は帰らなかった。幾度か退路を用意したが、でもそれを断った。「このままでは帰れない。」と彼は言った。


彼はその後、多くの葛藤を吹っ切って仕事に打ち込んだ。
捨て身の体当たりだった。リーダーではなくワーカーを志願した。


今ではなく、一歩先を見ている感じだった。


末端の現場の機微を知らなければ現場の指揮は取れない。と彼は言った。僕もそう思っている。


苦境が彼を強くし、葛藤から吹っ切れたことで、物怖じすることがなくなった。


そうやって居るうちに、どんどん彼に情報が溜まっていった。


そんな今年の1月中頃、彼が僕らのチームに合流することができることになった。
僕が彼に望んだことは、「彼自身が主役として仕事をすること」だった。


僕は手を出すのを極力控えるように心がけた。


彼はやはり八面六臂の活躍をはじめた。
準備のできてる彼に、あと必要なのはきっかけだけだったのだ。
仕事のきめ細かさと正確さ、フットワークの軽さ、調整ごとの決断力。根気よくやり抜く力。
みるみると力を付け、誰もが認める指揮官となった。


最大の功績は、50の部品を厳密な組み合わせとともに30以上のサーバーに配置する仕事だ。
地味な作業に思えるかもしれない。
しかし、1000を超える組み合わせを自分一人で管理して脳内で組み立てるというのは、簡単な仕事ではない。
環境依存、他グループ依存、製品依存などありとあらゆる依存関係の上に組み立てられているのだ。


ここが最大の山場であり最も難しい仕事だった。
彼は一人で、ほとんどミスなくこの仕事をやってのけた。


以前はこの仕事に
3人
2ヶ月対応して
100件以上のミスを記録していた。


彼は同量の作業を
1人
1ヶ月でこなし、
ミスは10件を下回っていたのだから、
そのパフォーマンスの凄まじさがうかがい知れると思う。


彼は、要件を多角的に分析するツールを自作し、あらゆる調整ごとを自ら動いて把握した。


状況を可能な限りあらゆる角度から掌握し、最適と思える判断をするのが指揮官の一つの仕事だ。


夜も眠れず、体にもガタがきていて、精神的に明らかに病んでいたのにもかかわらず、
彼は深夜まで毎日毎日、妥協なく取り組んだ。


実行力のない指揮官に成功はない。


彼に最後に
「振り返ってこの仕事はどうだった?」と聞くと、
「エキサイティングでした。」と答えた。



たった半年でここまで成長するものなのかと思った。



東京に来たとき、ただの悩めるファイターだった男は、たった半年で指揮官に育った。

家族を思い、苦難から逃げず、苦悩しながらも機転をきかせながら戦う姿は、彼に薦められて見たプリズンブレイクのマイケルと重なった。
これから先、どんな苦労でも彼を挫けさせることはできないと感じる。


小さな娘さんと、奥さんに胸を張って父ちゃんは頑張ってたよと言うといい。


現場では、常に指揮官を求めてる。
彼の抜けた穴は大きい、しかし彼が故郷で家族ととても幸せそうだということを聞いて、僕はどちらかというと肩の荷が降りた気持ちになった。