仕事に対する総合力を決めるのは、スキルや見識だけではない。
責任の質と覚悟の量を掛け合わせた質量が人の価値を高めるのだと僕は思う。
責任・覚悟は、人のスキルや見識の不足をカバーする。
僕は三流私大の文系出身だ。
大学時代、僕も含めて皆が遊びほうけていた中で、一人変わった友人が居た。
彼は「勉強の邪魔になる。」といって、
下宿先の窓からテレビを投げ捨てたそうだ。
管理人にはこっぴどくしかられたそうだが、
彼はバラ色のキャンパスライフなどとは無縁に、
大学生活を図書館の中で過ごし、3回生の頃には、税理士試験に受かっていた。
僕は「なにも、窓から投げ捨てなくても・・」と当時あきれたものだが、
今思えばそれには理由があった。
テレビをただ見ないとルール決めするのとは、まったく意味が異なる。
テレビを投げ捨てるという、過激な儀式が彼の覚悟を固めた。
そのような奇行が、自分を特別な存在にしてくれるという高揚感も手伝ったんだろう。
覚悟の持ちかたは色々あるが、そういうエピソードを残せるのも面白いと思った。
ただ、彼の覚悟は宛先のない覚悟だった。
しいて言うなら、自分の将来への覚悟か。
もしも、大きな責任に対する覚悟であったとしたら、その効果は計り知れないと思う。
責任は、それ自体が人を成長させる。
「ポジションが人を作る」というが、正確には「責任が人を作る」のだと思う。
家で自分の勉強をしていると、ぜんぜん身にならないが
仕事で取り組むと、みるみる知識が修得できる。
というのは、エンジニアなら身に染みて実感することだと思う。
仕事の谷間で、会社で勉強する時間があっても、往々にして自習と同じ状態になるから
会社という環境や、、集中できる固まった時間が重要ではないようだ。
もしも、世界の人間が一切仕事をしなくても生きていけるという状態になったとして、
仕事に対するお金という報酬がなくなったとしても、僕はなんらかの仕事をするだろう。
仕事の報酬は仕事だ。
という言葉が結構好きなんだけど、これは以下のようにも言い換えられる。
責任を果たしたことに対する報酬は、より大きな責任だ。
責任と、責任に対する覚悟が、人の成長につながるし
成長して見識を深めることができれば、
世の中の見え方が変わる。
社会での実質的なポジションがあがり、人からの敬意を受けられる。
あえて断言するなら。
報酬は、質の高い責任だ。
人の価値は、責任と覚悟の質量だ。
例えば、人の親となるものは強く。とくに母親は尊い。