レベルエンター山本大のブログ

面白いプログラミング教育を若い人たちに

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Googleが金になりそうもないストリートビューを作ることと、音楽が商業になったときカート・コバーンは死んだこと

「お金が先か、技術が先か。」という問題について

または、Googleストリートビューの意義について

議論している中で考えた事を殴り書きする。


彼らは何で儲けようとしているのか?

何を考えて新しい物を作り出すのか?

技術者は売り上げる価格の中にしか存在できないものなのか?

そして、カート・コバーンはなぜ死んだのか?

「お金」と「技術」もしくは「数値」と「大切な事」

まず、本当に大切な事は大抵数値にできない。

だから、本当に大切な事は数字と同じ土俵では測れない。

プレゼントの金額が、愛情の大きさを表すとは限らないように、

金額で、技術者の創造性を表すことはできない。


数値にできることは、一般的で、標準的で、わかりやすい物ばかりだ。

例えば、お金とか、日数とか、割合とか、数字化はつまりシンプル化だからだ。

数字はわかりやすい。

経営者の端くれとして実践的に勉強するようになって、

数字のわかりやすさと便利さは実感する。

物事を考えるのに数字にしてシンプルにしないと

全体像や前後関係が把握できない。比較ができない。

経営はそういう微妙なコントロールから始まる。だから数字は大事だ。


財務諸表の中の僕

財務諸表の数字の中には、

エンジニアとして動いてる「僕」を表す数字も出てくる。

僕が毎日の多くの時間をかけて動き、

心血を注いでいる仕事は、1項目の数字の中のほんの一部にすぎない。

他のエンジニアの血と汗と涙(大げさ?)もそう。

たったの1項目だ。

会社は僕らでできているが、僕らは数字でできていない。だから会社は数字でできていない。

財務諸表の一項目の数字には、

数値化する過程で削られてしまった多くの背景の物語がある。

そういう背景の物語が、この会社を形作っている。

同じ数字を上げている会社があったとしても、

僕らと同じ背景の物語を持っていることはない。


つまり、会社の個性を形作ってるのは、数字ではなく「背景」だと思う、

数字に表れている個性は、人間で言えば、身長、体重、年齢みたいなもんで。

わかりやすいけど、機微は失われている。

技術者は売り上げる価格の中にしか存在できないものなのか?


切り取られた「背景」の中に、

僕らエンジニアが命を削るほど心血を注いでいるものも含まれている。

だから、僕らの活動は、数字の一部だということではない

むしろ、数字は僕らの活動の一部なんだ。

僕らの活動は、間違いなく会社そのものだけど、

数字は、会社の一部だ。


活動の後に数字はついてくる。

活動の先に数字があるわけではない。

技術者が、数字に縛られて萎縮しだしたら、

数字はますます技術者を縛り付けるだろう。


技術者が(奔放に)行動し、

価値を生む形ができたときに、後から結果として売り上げるものになる。

カート・コバーンはなぜ死んだのか?

音楽が商業になった。ことはカートコバーンの死因の一つだ。

カートコバーンはニルヴァーナのヴォーカル。1994年に自殺した。

聴くことにも創ることにも、もう随分長いこと興奮を覚えなくなっていた。そういったことに、俺は言葉に尽くせぬ罪を感じている。例えば楽屋にいると会場の照明が落ちて、群衆の狂ったような叫びが聞こえてきても、それは群衆の憧憬の念を愛し、楽しんでいたらしいフレディ・マーキュリーに与えたような影響を、俺には与えないんだ。
そのことは俺が、心から尊敬し、羨まく思っていたことなんだ。
要するに、俺は君たち誰ひとり騙すわけにはいかないんだ。
君たちにとっても、俺にとってもフェアじやないから。この思いをごまかして、あたかも自分が100%楽しんでいるかのようなフリをするなんて、俺が考え得る最悪の犯罪だ。
ステージに上がる前に、タイム・カードを押した方がいいんじゃないかと思う時がある。俺が、そして俺たちがたくさんの人間に影響を与え、楽しませてきたんだという事実を喜べるように、できるだけの努力はしたんだ。
俺はたぶん、独りでないと物事を楽しめないナルシストってやつなんだ。感受性が強すぎるんだよ。かって子供の頃に持っていた情熱を取り戻すには、もう少し鈍感になる必要がある、
ここ3回のツアーでは、個人的な知り合いや、俺たちの音楽のファンを、前よりずっとありがたく思えるようになっていた。それでも俺は、みんなに対する不満、罪悪感、そして同情から脱け出すことができなかった。

・・・・

平和、愛、同情、カート・コバーン

1994年4月

カートコバーンの遺書

エンジニアは、タイムカードを押すことに抵抗は感じていない分、

カートほどの繊細さで仕事に向き合っているわけではないけど、

エンジニアの苦悩はカートと同質のものがありえる。

僕は、レコード会社の努力があれば、カートが生きつづける対策があったとおもう。

Googleは、それに答えを見つけたのかもしれない。

つまり、創造を殺さずに、商業をする方法を。